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達人に聞く操体法
1997年9月1日「快医学通信」第79号 著/今昭宏(今治療室)


おじぎ草

 朝、東の空に太陽が輝きだすと、葉を閉ざして眠っていたおじぎ草が
光に向かってみるみるうちに葉を開く。
そんな姿に理屈ぬきに感動する。
 私もまねしてみたくなる。
窓を全開、両手を体表にふりかざす。
すがすがしい朝の空気が鼻の奥で脳をひんやりと刺激する快感をみやげに、
太陽と光の握手だ。

からだの細胞が一瞬にしてフレッシュにうごめきだし暖かいエネルギーに
包まれる。
生きているつもりだった自分が、細かくふるえながら湧きだしてくる喜び
に包まれて、自分の中に眠っていた生かされている自分が目を覚ます。

 私は操体の橋本敬三先生のそばで5年も学ぶことができた幸せものだ。
 今は一応開業し、いつも試行錯誤の治療もどきや自治体等での操体の
講演を恥をかきながらさせていただいている。

治療室には温古堂ゆかりの四角いケヤキの火鉢がデンと置いてある。
開業するときに、何よりも先に必要な備品と思って探しまわり、
山形の骨董店から手にした。
使っているうちに、ヘリの部分がちょっと狭いので広くしたいと、ある
男性の患者さんに話したら、作ってくれるという。
そして2回目の冬が
過ぎた頃、患者さんに連れられて暑さ3センチ、縦横80センチのあざ
やかな木目が流れている見事なヘリがやってきた。
そんないきさつの火鉢である。
季節を問わず活躍する。

初めに5〜6個の切り炭をガスコンロで点火する。
1〜2個では足りない。
点火しても上手に置かないとすぐに消えてしまう。
何度か失敗したが、近頃はほぼ達人に近くなった。
炭おこしもバランスが大切だ。
火のついた下を上にして火鉢の中央に、中心を空けて炭同士が手をつないで
まーるくなるように置く。

ひとつひとつの炭の火は、隣同士の火と互いに同調し合いながら下へ流れ、
黒い衣装を赤い光に替えてゆく。
しだいに火鉢の中心の空間で全員の光が集約されて真っ赤に輝きだし、
暖かくやわらかい波となって部屋じゅうに放散される。
そんな光と波とが調和した熱エネルギーで菊模様の鉄ビンに入れた天然の
純水がシュンシュンと音をたてて沸く。

 部屋には2つ、でっかい源平カズラの緑が竜流と輝いて居座り、ちょうど
今ごろの季節になると、かわいい真っ白い花びらの真中から紅い花弁を突き
出して空間を彩る。
そんな活き活きとした心地よさに癒されながら、火鉢のへりでオリガミで
花を作ったり、色えんぴつで絵を書いたり、ウマイお茶の入れかたの研究
などが流行っていて、イタズラ坊主もなんだかんだと暇つぶしにいそがしい。

ましてや平日なのに治療室を休みにしてあちこちの神社や山へ行って遊んで
くるから困っている(患者さんにはないしょだ)。
 時折来てくれる患者さんにはそれなりに操体のことやいろいろなことを
お伝えする。

「アナタはバチがあたったんだよ!」
というのが本当なのだが、私はやさしいから少しずつそこに気づくように
もって行くのだ。

 様々な病名や苦痛(バチ)を背負って患者さんがやってくる。
大抵の人は私にバチをとってもらえばそれでいいと思ってくるのだが、自然が
当てたバチなのだから何かの目的があるのだろうし、本当は当たって助かって
いるのだ。
だから、とってあげれない。
その時は味わう必要があるのだ。
学びのためには。
そんなバチの気持ちになって対処する。

 単純な動きだけのバチの人は、けっこう素直に気持のいい動きが体感できて
すんなりとバチが消えてゆく。
そこで、つらい動きは無理にやらないで、気持ち良く動かすほうがいいんだと
自分で気づき、自分で学び、そうするようになる。
ここでバチの目的が達成されて元気になってゆく。

 いやはやこんなエラそうなことを書いている私も実はいろいろとバチが
当たった。
苦しかったが、ひとつひとつのバチの中でいつも何かに気づかされ教わる
ことが多かった。
未だに多少は当たる。
自分はごまかせない。
そんなバチのおかげで、未熟ではあるが少しは成長し学んでこれた自分が
大好きに想えるようになった。
そんな自分をしっかりとほめてあげる。
「オリコウサンデシタ。ヨシヨシ」(女子マラソンの有森選手も言っていた)。
 話が私事になってしまったが、本当だからしかたない。

 とにかく動きのほかに、呼吸と飲食と想念と環境が綿密に関係し合って
バチが当たったり消えたりするカラクリになっていることは確かだ。

 さてそろそろ本題にとりかかることにしよう。
 今までありがたい出会いや体験を通して学んでいることの中の、意識というか
心の問題、操体でいう「想念」の部分に焦点を絞って、そのへんを私なりにもう
少し簡単かつ具体的に表してみたい、、、、、、。
 特別サービス(サービスしないとバチが当たる。橋本先生が言っていた)

 まず、バチがあたった時は、そのバチを引き起こした行動の基盤となっていた
意識(生きる目的やものごとの価値基準)が「良いか悪いか」の極端な上か下の
ラインを目指したため、結果としてバチが当たった。
 上の「良いライン」というのは例えば、仮の健康、妙な快感、無理に感謝、
偽りの良い子、浮き足立つような喜びや嬉しさ楽しさ、他との比較から生じる幸せ、
人のために尽くす、人に認めてもらう。
などのように一般的に良い常識のことだ。

この良いラインに入ると、ひとときの妙な快感がある。
がしかし後にバランス作用で、下の「悪いライン」が待っていて、病気、苦痛、
憎しみ、恨み、恐怖、さみしさ、怒り、傲慢、頑固、などが必然的に起こるのだ。
私はこのような矛盾を生む否定的な粗い波のエネルギーを「念エネルギー」と総称
している。

だから上のラインを目標に生きることは本当はウソの常識なのだからやめてしま
えばいいのだが、変なこだわりの知識や習慣で意識が曇り、きれいな魂(人の
エネルギー本体)を閉ざしているので、わからないからやめられない。
なにがわからないかというと、上と下のラインの中間に本当はだれもが求めている
素晴らしいラインがあることをだ。
私はそこが操体でいう「快(気持ちよさ)のライン」だと想っている。
 0のライン、いや中心ライン、光のライン、いやいや「純粋な快ライン」と
まずは勝手に名づけることにする(なんとなくかっこいいから)。




 意識がこの純粋な快ラインに近づきクリアーになってくると、自然環境から
肉体そして人の本体である魂に自動的に本来のエネルギーが注入されるのがわかる。
この素晴らしいエネルギーを宇宙エネルギー、いや「絶対エネルギー」と呼ぶのが
ふさわしい感覚で、すべての源、本、元、素となっている絶対界の一点(魂の親、
ふるさと、とでもしておこう)の意思が光と波となって降り注いできている調和の
メッセージだ。

この絶対エネルギーに包まれると、心の中が細かくふるえて回転し、癒されている
安心感や生かされている幸福感を感じ、なぜか善し悪しの判断ができなくなる。
おまけに、穏やかな喜びや静かな嬉しさが沸いてきて、ありがたさを伴う満足感を
誘い出し、自動的に元気で素直で無邪気になれるのだ。

 この絶対エネルギーはいつも快ラインを流れていて、人の五感覚を通して純粋な
心地よさをひとつのおみやげにして、その想いを光と波に変えて、何かを諭そうと
しているのかもしれない(いやはや雲をつかむような文章で、少々わかりにくいか
もしれませんが、なんと言っても語学知識の乏しいこの私が、暇つぶしのエネルギ
ーでできるだけありのままの体感を文法を度外視して書いているというイイ加減さ
と40才の無邪気さに免じてお許しいただき、そのままの雰囲気でそれなりにご理
解下さい)。

 この純粋な快ラインに自分自身を乗せるには、難しいことや特別なことをするこ
とではない。
どうするかというと、まずこのような仕組みになっていたことをしっかりと再認識
し、もし今まで間違っていたことがあったなら素直に「ごめんなさい」とあやまる
のだ(だれにあやまるかは自分で考えること)。

 そして自分の生きる目的を、モトの快ラインに流れているその想いを知る中で改
めて自覚し、なにが一番大切なのかを見定めながら、日々の生活のすべてを味わい、
覚悟を決めて自分を表す行動をとるのだ。
 するといろいろなことが必然的に起こってくる。心も肉体も調和状態へのステッ
プとして変化する。

隠していたものが出てくる。とんでもないと思われることが起こるかも知れない。
それらを肯定的に味わう中で、育まれ、学びを得てニセモノの自分から本来の自分
に生まれかわる。

 ウソかホントか試してみるしかない(橋本敬三氏18番)。
 おじぎそうが朝の光で葉を開くように、人の心もひとりでに開くのだ。




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