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達人に聞く操体法
1998年3月1日「快医学通信」第85号 著/今昭宏(今治療室)


チューニング


 前回までの内容は、操体の操法に興味のある人にとっては少々期待はずれだったかも知れない。でも、きっといつかはだれもがぶちあたるであろう心の本質(自分自身の意識の核となる絶対的なよりどころ)が、おぼろげながらでもはっきりとわかっている方が、これから先とても便利なものさしになるのではないかという非常にイイ加減な問いかけのつもりで書いてきた。だから、工夫しだいで操法にも応用できるようにちやーんと設計されて書かれているから心配ないのだ。

 さて、ここまでくると退屈しのぎに拍車がかかる。すっきりとまとめてみたい(のだがどうなることやら)。

 私は楽器のドラムが大好きだ。なんといってもひとつひとつの太鼓やシンバルのきれいな音と、はぎれのいいリズムがなんともいえない醍醐味があるのだ。だが、それなりに演奏できるようになるには覚えることがいっぱいある。手と足がばらばらに動くことなども大変なことなのだが、それより先に太鼓のチューニングが合っていないと、一直線に通るきれいな音にならないのだ。

 でっかいやつからちっちやいやつまでいろいろな太鼓がある。ひとつひとつがそれなりに見合った音色をもっている。チューニングはスティックで太鼓のヘッド(皮)の中心を軽くトントン叩きながら、周囲のボルトを締めてゆく。最初は八個あるボルトをゆるめた状態にして対角線を引く要領で順序良く締めてゆき、二往復で大体決まる。太鼓のヘッドは締めすぎても緩すぎてもストレートな音にならない。

八個のボルトがその太鼓に適した力で均等にヘッドの中心を引き合い、そのまん中の一点を叩いたとき、均整のとれたヘッドの振動が太鼓全体に伝わり、その太鼓なりの、のびのあるストレートなひとつの音になって響くのだ。

ギターでもピアノでも楽器は何でもチューニングが大切だ(あたりまえだ)。




人間も楽器と同じでチューニングが大切だ。人間の調律は、ドラムのチューニングによく似ている。スティックは一点からの絶対エネルギー。ヘッドは魂と意識とからだだ。

からだから見てゆくと、人間の中心はへソなのだが、周囲のどこかが張りすぎたり緩んだりしてへソが中心になくなって「へソ曲がり」になってしまっていると思えばいい。

お腹の皮膚に軽く手を当てて、へソのあたりを上下左右等に動かして、ヘッド(皮)の張り具合を調整するのだ。指先でちょっと動かすだけでへソの周囲の皮膚は伸びるところと縮むところができる。どんな体勢でもできるが、仰向けで目を閉じてやるのがいいようだ。チューニングされるとき、伸び縮みの静かな心地良さに呼吸がへソ周辺に深く引き込まれ、その呼吸が快を増幅する。さらに、その快にからだの動きが導かれて表現される。

自分の中の自分が自分を操るかのような感覚だ。 しだいに今まで聴いたことのない穏やかな自分のストレートな音が響いてくる。それは、例えばこんな感じの意識の音色になる。自分がちっちやい(元気な)こどもになる。やさしい母(一点)に抱かれたぬくもりの心地良さ(絶対エネルギー)を周りを気にしないで(無邪気に)おいかけて跳んでゆき(素直な子)、母に抱かれてその安心感と満足感を味わう。母が子を想う穏やかな喜びに包まれ、安堵感に浸る。静かな楽しみの底からうれしみがじわじわと湧きだしてくる。善し悪しの全てを包むそのままの至福がいつまでも続いてほしいと想う。

とまあこんな音色が意識と感覚をストレートにこだまして響くのだ。この時の肉体は、地球の核の中心が重力で安定させているように、全身が中心で安定し、皮膚から内臓、筋骨格系までが影響をうけて安定をはかるかのようにうごめく快感覚になる。

その後余分なチカラがすっかり抜け、まな板の鯉のように一点(母)に全身をあずける感じになる。(赤ちやんをだっこすると、よくわかるこの感覚。寝ると腕がシビレルほどドテッと重い。赤ん坊はチューニングの名人なのだ)。

だから操体の動きは、曲がって歪んだへソを中心に戻して脱力する(というとらえかたもできる)。脱力の瞬間は、考えないで地球(母なる大地)の中心に全身を任せることになるから、肉体と意識が一点にチューニングされて絶対エネルギーがドドドーンと自動的に入ってくる。

一点は「入ったよー」と言うかわりに快ラインの感覚をおみやげにくれるのだ(たぶん)。 橋本先生は、お医者さんなのに本気で「病気はネェンダ!」とか「治療など下の下だ!」などと言っていたが、今思えば、これがまさしく意識のチューニングそのものだったのだ。

 先生の想いが快ラインに突入すると意識がチューニングされ、先生の全身が一点と同調する。そんな先生に治療を受ける患者さんは、先生の魂と意識とからだを通って流れ出るストレートな音と、温古堂の環境にかもしだされた光と波によって癒されて治っていったのだ。だから「俺が治したんじゃネェ!」と言っていたわけだ。

先生は、自分の音を奏でながら自分は一点からの絶対エネルギーを受けて表す媒体役でしかないことをちや−んとお見通しだったのだろう。橋本先生はエライ人だった。みんなもそれなりにエライのだが、太鼓のくせにラッパの音をだそうったってそりやあ無理だよ。太鼓は太鼓の音が一番よく似合うのだ。 チューニング、チューニング。

さて、ここまで読んで、心のどこかで「ウンウン」とか「ナールホド」とかとうなずけて、何かに気づいたり学んだりおもしろかったりした瞬間が意識の調律をしたことにもなり、雲っていた意識が少しはオートクリーニングされたのだ。

 なにやら全自動洗濯機に洗剤(操体など)を入れ、そこに「人間」を入れて、心とからだの洗濯をしているみたいに思えてくる。そう言えば、たまに脱水が終わってから洗濯機をのぞくとティッシュがボロボロになって、紙くずがはちゃめちゃにくっついていて大変だったなんてことありません?。ウチではしょっちゅうなのだ。とにかくポケットを点検してから洗濯機にやさしく入れましょう。(ここのところは声を大にして私の嫁さんに読んでもらいたかったので書いてしまった。)

神様だか仏様だか一点だか知らないけど、人間をこの地球という洗濯機に入れてくるくるまわして、いろんな花をたくさん咲かせて、お花見でもしながら音楽会でも聴きたかったのかなあ。

アナタはどう思う? 





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