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操体医学研究所 今治療室・操体法・仙台勉強会&講習会

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須賀川操体法勉強会 1982 今 昭宏


福島県須賀川市保健センターにて。
昭和60年頃。

   『なんといっても健康ですよ!。
    健康こそ宝物!』

病気の辛さを体験したことのある人ほど、心のどこかにそんな願いを強く抱いているという。

    ・・・操体法・・・

聴き慣れない名前かも知れないけれど、今では自治体や学校等でも率先してその普及に力を入れており、操体法に関する講習会や勉強会が全国各地で開かれている。
又、医師、治療師等の方々が医療の現場で操体法の指導に当たり、その成果を上げ患者さんに喜ばれている。
果たして操体法なるものいったいどんなことをするのだろう。
今回は、福島県須賀川市で行われた操体法の勉強会の模様を追ってみることにしよう。

福島県の須賀川市という所はのどかな緑が広がり、人情味あふれた素敵な街である。
市では昭和57年より年に数回の割合で「操体法講習会」と題して一般市民を対象に操体法の勉強会が行われている。
自治体の目的は、市民一人一人の健康維持増進と健康保険財政の問題解決にあり、その成果は着々と上がってきているという。
それにもまして市民同士の深いつながりが出来たり、行政と市民のふれあいの場となり親しまれているのが現状だ。

須賀川市で行われている操体の普及方法は、まず各地区ごとに講習会をやり、それを受講した人達が一期生、二期生と次々にグループが結成される。
さらに、そのグループごとに保健婦さんがお世話役となって月一回位ずつ勉強会を開いてゆくシステムになっている。
ただでさえ忙しい公務なのに、労を厭わず陰の力となって支えてくれているのが保健婦さん達である。
一人一人のカルテを作りデータを記入したり、パンフレットを作ってみんなに配ったりと、そのご苦労には頭が下がってしまう。

今回の講習会は12月とあって少し肌寒い。いつもなら会場は各地区の公民館などが利用されているが、今日は須賀川市保健センターという立派なところだ。
予定人数は30名で以前にも講習会に参加したことのある人達が対象と言うことだった。

しかし、当日になって急に希望者が増え、定員を完全にオーバーし、70人以上の大入りとなってしまった。
それにもまして今日がはじめてという人もいるらしく、保健婦さんは朝からワタワタ「センセェ、どうしましょう?」と困っている。
というのも、会場が70名ともなると広さの面で狭いのだ。
私も少し不安ではあったが、「まぁそれないりにやってみれば大丈夫でしょう」とおいしいお茶をご馳走になり、所長さんとあれこれお話をしているうちに10時になった。

「それではセンセェ、お願いしますぅ」と所長さんは私を会場へと案内してくれる。
会場となっている和室では、おばちゃんやおじちゃん達が私の登場を待ちかねてか、にぎやかにざわめいている。
私は所長さんの後ろについて、会場の後方からのこのこと入ってゆき、一番前の右隅にチョコンと座った。

「エェ、本日はお寒いところをご苦労さまでございます。」と所長さんの挨拶から始まり、市が操体法に取り組むようになったいきさつから講師の紹介と話が進んでいる。
私は、平静を装ってはいるが、内心は何から話を始めようかと迷っている。
講習会はスタートが大切だ。
まごまごしていると「なんだこのセンセ?」などとみんなに不信感を抱かせてしまう。
かといって突然操体法の話から入っても、後が続かないというかあまり楽しくない。

前回は、納豆と豆腐は反対だった話から入り、けっこううまくいったけど、このネタを今日は使えそうにない。
というのは、前回の講習会でその話を聞いて感心していたオバチャン達が一番前で私の方をチラチラニコニコ見ているからだ。

そうこうしているうちに所長さんのお話も終わり、「それではコンセンセェ、お願いします」ときた。
私は、スッと立ち、みんなの視線を身体中に浴びて、まん中の位置で正座した。

なるようになるものだ。
私はいつものように「おはようございます!」とますは元気にあいさつから入った。
私が顔を上げると、あまり元気のない、まだらな70名の声で「オハヨウゴザイマスゥ・・・」と返ってきた。
ここで私はなぜかウーンと大きい元気な声でもう一度、「おはようございます!!」とタタミにオデコをすりつける位にして言った。

みんなは私の声に驚いたのか目をまんまるくして「オハヨウゴザイマース!」とニコニコ元気いっぱいにごあいさつを返してくれた。
会場が一瞬にして快適な”オハヨウ”の空気になる。
私はなんとなくうれしくなり「いゃー今日のみなさん元気がいいですねェ」と少し笑っていう。

そんなこんなで講習が始まってゆく。
会場を見渡すと苦痛をこらえて立派に正座しているオバチャンが目につく。

「みなさんねェ、操体法というのは苦しいことを我慢してやることではありませんから、楽な姿勢で温泉にでもきているつもりでいいんですよぉ」私はそう言った。

ざわざわニコニコとみんな思い思いの格好になる。
ほとんどの人は体のどこかに苦痛をもってここに来ている。
私は黒板に向かい、 みんなに質問をしたりしながら操体法の大まかな説明をしてゆく。

「みなさん、生きていて自分でしなければならないことで、他人に代わってもらうことのできないこと、なになにある?」
みんあは会場にはいるときに配られたパンフレットをがさがさキョロキョロ見ている。

「前にも習ったことがあると思うけど、ます息をすることでしたね。それに飲み食いすること、そしてて動くこと、想うこと、まとめてみるとこの四つでしたね。」と息、食、動、想、の責任生活と環境(自然、社会、人為)を含めた五つのつながり合いのことや、これからオリンピックに出場する人がいないことを確かめた上で、60点(及び第点)位のバランスで、間に合えばいいことなどを知ってもらう。

そして、一番手っ取り早い”動き”のバランスから体験してもらうことになる。
多数決により、はじめは立っている姿勢からスタートする事に決まり、私を中心にみんなが輪になって動きだす。

私はいつものように重心移動のやり方をやってみせながら、やってもらった。どの会場でもそうなのだが、特にからだを側屈する動きのとき、体重をかける足が反対になる。
からだを右に倒すとき、右足に体重をかけてしまう人が多い。
「なんべんいってもワガンネェなぁホントニィ!」と私の心はため息をついてはいるが、顔はニコニコしながら「こういう風に腰を動かしてェ」などととってもやさしい。

たまに、それでも覚えてくれない人がいる。
すると私も少しキビシイ。
一人のオバチャンがその犠牲となり、おしりをピンとたたかれて、やっと上手にできるようになった。

「身体を前に曲げるときは、おしりを後ろに引くようにしてェ。そして、後ろに反らすときは、腰を前に押し出すようにィ」と私はやってみせながらやってもらう。
「身体をねじるときは、ねじってゆく方の足に体重をかけてェ」とこれはみんな上手にやってのける。

ふと重心移動について考える。
体重の移動と重心の移動では意味がだいぶ違ってくる。
私見はあるのだが、別の機会にとっておこう。

それからもう一点注意して指導した方がいいことがある。
というのは、からだのバランスがある程度よくないと、法則通りの動きがスムースにできない場合が多いのだ。
法則に反した身体使いの繰り返しによって、からだはそのような動き方をされてもふんばれるよにつっかえ棒の役目をしてくれる歪みをつくって耐えているのか?
もしそうだとすると、その歪みによって、法則に反した重心の移動が楽にできてしまうということも考えられる。

さて、ここからが、問題だ。
身体の歪み具合によって、法則通りの動きが楽な人と、法則に反した動きが楽な人がでてくる。
後者の場合、問題となってくる。
法則だからといって、その時点では苦痛な動作であってもそのまま教えてしまっていいものだろうか?
いや、最初は少しキツイかもしれないけれど、しっかりと覚えてもらうべきだ、、、。
とかいろいろ考えられる。

私の場合、結局は苦痛な動作は出来るだけしないことを前提に、からだを壊さない使い方とバランスの整え方を別に考えるようにして指導している。みんなそれぞれに違ったバランスで生きている。
人によってはそれなりに、じっくりと時間をかけてバランスを整えながら覚えてもらった方がいい場合もあるのだ。

さて、今度は手足の使い方(重心安定の法則)についての指導となる。私は足の小指側(外側)にウーンと体重をかけて、わざとヘッピリ腰のおかしな格好でノタノタと歩いてみせる。少しおおげさにやりすぎたのか、みんなクスクス笑いだした。
そんな中、一番大声で元気に笑ったのが、さっき重心移動の時たいへんヘタクソで、みんなの前で私にしかられたオバチャンだ。

「足はこんな風に小指側に体重をのせて歩くと力が外側に分散し過ぎて身体が歪んでしまうのですよォ、だからこうやって体重をオヤユビ側にかけると膝などの力が身体の中心(腰)に集まって背骨の方までシャキッとなるんです」と私。
みんなはニコニコ感心する。

「次は、手の使い方ね、みんなのなかでゴルフやっている人いるゥ?」と私は手をあげる。
予想はしていたが誰も挙手しない。
「それじゃあ相撲は?」と追い打ちをかける。
まじめに尋ねる私を見て、会場は笑いの渦となる。

私は、
「いま言ったようなスポーツでも何でもそうなんだけど、昔から名人とか達人とか言った人は、ちゃーんど理にかなった身体の使い方をしていて” 脇をしめて腰でやれ!”などと教えていたんです。
脇をこうやってあけるなという意味で、こんな風に肘を開いて動作しているとからだは歪んでくるんです。
そうすると、この肘をしめて身体を使うためにはどうしたらいいのかということで、手の使い方があるわけです。
やってみるとわかると思うけど、この手の小指側に力点をおいて動作するんです。
すると肘がしまってきて、身体の中心(腰)に力が集約されて、効率よく見た目もきれいにバランスよく動作できます。」

なんとなくわかりました?
足はオヤユビ、手は小指ですよ。
次に、床のものを拾うときの方法や、高いところにものを取るときの注意、それから台所などでの身体の使い方、身体を動かすときの呼吸などについてのお話となる。

私は、右足で床のものを拾う格好をしながら「こうやって拾おうとすると、とどかないですよ。ね、ギュッと無理すれば届くけど。
こういうときはホラこうやって左の足を前に出して、こう右手で拾えば楽でしょう。
やってみてくださいよ。

みんなワイワイためしだす。

「楽に身体を使えばいいものを、窮屈に使って壊しているんですよ。」

「あとねェ、高いところのものを、右手でとるときは、右足に体重をかけてこういう風にした方がいいし、台所で右手で包丁を使うときなんかは、こうやって右足を少し後ろに引くようにして動作したらウーンと楽でいいんですよ。」

とこれまたやってみせながら、やってもらう私。

「それから、動作するときの呼吸ですけど、特に力強い動きとか素早い動きのときは、息をはくか止めるかしてやった方がバランスよく動作できますね。
重いものを持ち上げるときなどは、ヨイショ!とかけ声をかけ声をかけて息をはきながらやるでしょう。」
腕組みした後ろの方のオジサンの目が納得したかのように輝いていた。

びっくりタイム

今度は、実際にどこかが苦痛な人に出てもらって操法をやり、身体の変化にびっくりしていただく時間だ。
私もこのびっくりタイムが大好きなひとときなのだ。

「誰でもいいですからどこか具合の悪い人ちょっと出てみて下さい。」と私。
最初はみんな尻込みして、なかなかすんなりと出てくる気配がなく、誰かが出るのをキョロキョロ待っている。
「誰もいないんだったら私はもう帰りますよォ」私は少し脅迫する。

隣の人にせかされてか、小太りのオバチャンが手を挙げて、しかたなさそうにヒクヒク歩いて私のそばに来た。
「ヒザが痛くて正座できないんですゥ」と右膝をさする。

私はウンウンうなずきながら「ハイ、どうでもいいですから一番楽な格好で寝てみて下さい。」といってその仕草を注意深く見つめている。
楽な格好で!といっているにもかかわらず、このオバチャンは礼儀正しい性格とみえて、”寝てキオツケ”の姿勢をとってがんばっているのだ。

このままでは膝もかわいそうだし、操法どころではない。
私は「いつ頃から痛くなったの?などとそのいきさつを聞いたりしながら「膝を立てた方が楽なんじゃないの?」と少し手伝って立膝にする。
百四十個の視線が降り注ぐ中、どうにかオバチャンの緊張もほぐれ、操法が始まる。

私はまず膝ウラの圧痛を調べる。左側にものすごいシコリがあって押さえると「アイタタターッ!」と顔をしわくちゃに紅潮させてビクビクッと動く。
痛いくせにどうしてか笑うオバチャン。

「ホーラこんなに痛くなっているんだものォ、この左足。」
「あれー、センセェ私はこっちの右膝がいつも痛いんですよォ」と左側はなんともないと思っているオバチャン。
「でもいま痛かったのは左でしょう。ホラぁ」とまた左膝ウラを少し強めに押してわかってもらおうとする私。
みんなは、そのやりとりを目を白黒させてジィーッと見ている。

どこから動かしてもいいのだが、私はオバチャンを観ていてなんとなく肩からの動きのバランスを整えてみたくなり試してみることにした。
オバチャンの両手をとって、片方ずつゆっくり引き下げ、その感じの違いを聞いてみた。

オバチャンは、右肩を下げられるとイヤな感じがするという。
私は、「ハイ、右肩を耳の方にゆっくりと引っぱってェ」と中指と薬指を一緒に持って支えている。
「どこも痛くないように、首も背骨も身体じゅう動いていいですから、気持ちよーく引っぱっててよォ」と私はオバチャンの右膝に右手を当てている。

左肩の動きから左膝が連動してきているのがよくわかった。
「キモチイイのを味わってェ、、、ハイストン」と合図をした。
オバチャンは上手に力を抜いた。
「ハイ一息入れてェ」「抜いた後どうでしたぁ?、気持ちよかった?」と私。
オバチャンは、みんなの視線を浴びているせいか、シドロモドロしながら「ハ、ハイッ!」と一応の返事をした。

「もう一回やってみたい感じがするぅ?」とオバチャンのからだの感覚を大切にして問う。
オバチャンは、私の言うとうりにしなければ、、、とオドオドしているのに、私がどうしますか?などと質問したものだから少しビックリして何かを疑っているようだった。
でも、「ハイ、もう一度やってみてもいいですぅ」と本当にからだの動いてみたい感じがしたのかどうかわからないけどそう答えた。

私は、ひとまずもう一度引っぱってみてもうらことにし、「気持ちのよくなるように身体じゅう動いていいから引いててよォ、、、、、、ハイストン!。」
オバチャンは、どことなく気持ちよさそうにやってのけ、ため息をつきながらあたりを見回し、ほっぺを紅くしてハニカム。
私は、「みんなが見ていると緊張するねェ!」とか言いながら、さっきの膝ウラのシコリを確かめビックリしてしまった。

ゴリゴリして痛がっていたあのスジがすっかり消えてしまっていたのだ。
クリクリ押さえながら私は平気そうな顔で「ホラ、もうこう押しても痛くなくなったでしょう!。」
「アラぁー!ぜんぜん痛くなくなりましたぁ!」と信じられないといった目で、すっかり驚いて私を見る。

それよりびっくりしたのが、周りでそのやりとりを監視していた人達だ。
一瞬にして、その場の空気がなにやら気分のいいオドロキのうずまきに包まれる。
私は自信たっぷりに「今度は起きて正座でもなんでもやってみてよォ」と胸を張って指さして言う。
なにがなんだかわからないような表情でオバチャンは起きあがり、チョコンと座ってしまった。

こんなことも実際にあるのだ。オバチャンはびっくりしたのとうれしいのとで、いままで誰にも見せたことのないような最高の笑顔をつくって、正座しているヒザをヨシヨシさすった。
みんなは、「エェーッ、ホントニィー、痛くなくなったのォ?」とざわめき、嘘のような現実を目の当たりにする。

と、ここまでは順調だった。
しかし世の中には頭のスルドイ人がいるもので、いままでの経過をさも納得したかのように見ていた奥さんがこんなことを言い出した。
「センセェ、膝が痛いときは、肩を動かせば治るのですねェー?」と確かにそうだったのだが、完全に勘違いをしている言い方なのだ。

私は、「からだは首とか腰とかと部分的に名前がついているだけで、よく観ればぜーんぶつながっていて全身でひとつでしょう、だから一緒に動いているんですよ、膝と肩もねェ」
少し強い口調で「痛い部分は部分でいいから、ひとつの身体としての全部を気持ちよくなるように動かせば、膝でも、肩でも治ってくるんです」と連動のことを説明する。

仕方のないことかも知れないけれど、ほとんどの人はどこかが痛いと、そこだけが悪いと思ってその部分だけを治したいのだ。
それを治すには、どこをどのように動かすとそこが治る。
などということを覚えたいのが現実なのだ。
そんなこんなで奥さんも「なるほどねェ!」といった表情で一応うなずいてくれた。

それから7〜8名、腰が痛い人や肩が痛い人など、私はわざとひとりひとりに違った操法をやり、まずは痛くない方に動けばいいことを味わってもらった。
それぞれの人達に私の思いつきから生まれたというと語弊があるかもしれないけど、そんな動き方をひとつふたつやってもらうとおもしろい程からだが変化し、ひとりが良くなると次々にポンポンからだの苦痛が消えてゆくのだ。
これには私の方がいつも驚かされてしまう。

どうしてこんなことで良くなってしまうのか、なにかの連鎖反応か?
ただの思い込みによる自己暗示的効果なのか?
それともウソを言っているのか?
とホント疑ってしまいたくなるほどの現象が目の前で展開される。
みんなは「マホウみたいだねェ!」とか「キツネにつままれたみたいだぁ」などと言って、しまいには私をコンコンキツネにしてしまう。

私は、ビックリしながらも、冷静に本当のことを指導する。
「みんなは今治してもらったと思っているでしょうけども、ぜんぶ自分でやったんですよ。私が治したんじゃないんだからね。からだは気持ちが良くなるとひとりでに治ってくるように出来ているんです。試してみたらそうだったでしょう」

みんな、不思議そうに目を輝かす。
そんなこんなで私は元の位置に戻り
「今みんながやったように、苦痛な動きがわかったら、それをガマンしてやるのではなく、反対に自分で気持ちよくなるようにすればいいということです。」
「からだは、今みたように、苦しくない方、気持ちのいい方に動けばバランスが整ってくるようにちゃーんとうまく出来ているんです。だから今日は自分でもできそうなことをひとつでもいいから覚えて家に持ち帰って試してみて下さい」

機嫌良く私がお話し、「それではですねェ、みなさんの中で自分はこういうことを教わりたいとか、こういうときはどのようにしたらいいのか?みたいな質問があったら、手を挙げてみて下さい。」と質問タイムが始まる。

小太りのバレリーナ

「ハーイ!」とさっきまでは、神妙にしていたオバサンが恐る恐る手を挙げた。
「あのォ、この手のオヤユビがけんしょう炎で広げられないんですけどォ」と開けない手を痛いくせに無理矢理広げてみせる。

私は突然その指がかわいそうになり「ホラ、そうやって痛いのをガマンして開こうとうるから治らないんだ!」と少し本気でオコリ、「反対の手は開けるの?」とたずねる。

「左手はぜんぜんなんともないですぅ」とグーを出したり、パーを出したり元気にジャンケンをしてみせるオバサン。
「ホラ、それだったらその左手を気持ちのいいように広げてごらんなさいよォ」とパーを出してみせる私。
不思議そうな顔で自分の右手と左手をキョロキョロ見比べながら、「右手が痛いのに左手をやるんですかぁ?」と半信半疑のオバサン。

「そう!まぁいいからやってごらんなさい!その左手をキモチヨークひろげてェー」と私もそうしてみせる。
オタオタしながら、オバサンは左の手のひらだけをひらく。
やさしい私は「ホラ、またそうやって手先だけでなく、肩も背中もからだじゅうで手を広げてェ」とわざと大げさにパーを出してみせる。

気持ちよいいいように好きなように動いてェ」小太りのバレリーナが正座して踊っているかのような華麗な動きだ。
しばらくして「ハイ、力をぬいてェ、、、一息入れて休んでェ。」
「どうでした動いた後は?なんとなく気持ちがいいでしょう。」

「エェ、なんか肩のあたりがスーッとして軽くなったみたいです。」とキクキク肩を上下に動かし、軽やかなオバサン。
「どうですか?もう一回やってみたい感じがする?」
「ハイ!」
「それじゃあさっきの動き方とは少しぐらい違ってもいいから、伸ばしたい所があったら、そこをウーンと気持ちよく伸ばしてやるようにゆっくりゆっくり好きなように動いてェ」

腕をひねったり、肩を縮めたりして少しは気持ちいい格好を探りながらうごめいているオバサン。

「抜きたくなったら、力を気持ちよーく抜いてよォー」とオバサンのからだに任せる私。
オバサンはどことなく気分良さそうに、ため息までおまけにつけて力を抜いた。

「どうですか?けっこうイイ気持ちがするもんでしょう」と念を押し、もう右手が治っているから大丈夫だ!とでもいう顔で「ハイ、今度は右手を開いてみてごらん!」とエラそうに言う私。

そのとき、オバサンの気持ちの中に『もしかして良くなっているかもしれない』との予感を抱かせるもの以上のうごめきに似た感覚が生まれたような、そんな気がした。
すると、オバサンはなんなく右手でパーを出して「エエーッ!痛くなく開ける!」と目をまんまるくしてみんなに訴える。

なにをも疑う余地のない歓声がうずまきとなって部屋中を包み込む。
なんともいえない、気分のいい瞬間。びっくりさせられる瞬間だ。

うれしいくせに私は「ほらね、やってみればそうなるでしょう」と当然なるべくしてなったとでもいわんがそぶりで、「試してみる人は得するし、やらなければダメだ!」と試してほしさゆえに少しキビシイ。
オバサンの手はウーンと開くとまだ少し痛いようだったが、「まぁいっぺんに全部治そうなんて欲張らないで、あとは家でゆっくりやってみてェ、ねッ」とつき放し、「でも、あまり一度にやりすぎるとかえって悪くなることもあるから、3回〜4回気持ちよく動いたらやめて、又1時間ぐらい間をおいてから、やってみるようにして下さいね。」とがんばって治そうとするみんなの欲張り精神をなだめる私。立つときに膝が痛いオバアチャン

次の質問は、正座から立つときに膝が痛くてすんなりと立てないというかわいらしいオバアチャンだ。
私は正座しているオバアチャンに「そのままで膝を交互にこうやって浮かしてみて、どっちが上げやすいかゆっくりくらべてみてェ」とためらいなしにそう言った。

モジモジしながら、オバアチャンは、上げられるのを嫌がっている左膝をさも憎らしげに「左膝を上げようとすると、脚のつけ根がが苦しくなりますぅ」と私に訴えニコッとする。
「そんなときはどうしたらいい?」と逆にそれを質問にしてしまう私。
オバアチャンは、ちょっと困った風に首をかしげていたがそばのオバサンのヒソヒソ声を聞き、それを答えた。

「右の膝をあげる?!」。
「そう!もうすっかり覚えたねェ」とホメタタエ「それじゃあ右膝をゆっくりですよォ、いい感じがするところまで上げてみてェ。からだじゅうみんな使ってよォ」と私もそうしてみせる。
適当なところで「ハイ、おろしてェ、一息入れて深呼吸してェ」からだじゅうでため息をつくオバアチャン。

「もう一回やってみますか?」
「ハイ!」と答えたはいいが、上げられるだけ高く持ち上げようと懸命になるオバアチャン。

「ホラ、又そうやって頑張るゥ!」とどうしてか笑いながらオコリ「かるーくこうやって右膝を浮かすようなつもりで、ねっ、そうするとバランス的に左の膝はなんとなく床に押し込むようになるでしょう」。
とゆっくり大げさにやってみせながら「そうそうフワーッと気持ちがいい格好にィ、ゆっくりよォ」と私。

きれにに動くオバアチャンのからだ。みんなは息を飲むようにそのやりとりを観とどめる。
だれかひとりくしゃみをした。
「もういいなあと思ったらやめてよォ」。
少しして正座にもどり、せいせいした表情でみんなを見回すオバアチャン。

「どうでした?けっこう気持ちがいいでしょう」。
「ハイ!こんなちょっとの動きでいいんですか!」とからだ全体での動作と局部的なガンバリの動作の違いを感知したかのように納得するオバアチャン。
「ハイ、今度はそのまま立ち上がってみてごらんなさいよ!」と左膝が上げやすくなったかどうかも確かめずに言う私。

みんなのワクワクするような期待に包まれて、オバアチャンはスッスッと事もなく立ち上がり「痛くなく立てたわぁ!」と紅いホッペでニコニコになった。
二度三度と立ったり座ったりしてみせたが、痛くなく立ち上がれるようになってしまった。

『苦痛でもガマンして動かさないと悪くなる』なんてよく言われているようだけど、こんな格言、いったい誰が作ったんだ!
ウソなのに。

苦痛はからだのアンバランス指向を示してくれるやさしいサインなのだ。
そして、気持ちがいいという時は、からだが元のバランスに戻るときのサインであって、からだとしてはそうしてもらうとうれしいのだ。
但し、そのときいくらか気持ちがよくても後味が悪くなるようなのはダメだけどね。

そんなお話をして午前の部が終了し、昼食の時間となる。オバチャン達は、手作りの弁当を持参して食べたり、外食したりと自由である。
私は、美人ぞろいの保健婦さん達と一緒においしいお弁当をいただく。

保健婦さん達もみんなのお世話などでお腹がペコペコらしくパクパクと食べる。
食事をしながら私は、「どうでした?午前の部は?」と感想をたずねる。
若くてかわいらしい保健婦さんが「イヤー、ホントびっくりしましたぁ!、あんなちょっとしたことで、良くなってしまうんですものねェ」と首をかしげながら「どうして気持ちがいいように動くと治るんですか?」とものすごい的確な質問をしてきたのだ。

私は、ふと上田先生の書かれたもの(皆の医学そして未来の医学)を引用させてもらい、その答えとして出すことにした。

「、、、、、、、確か、昭和58年ごろだったと思うのですが、当時独協医科大学の脳神経外科学助教授、上田裕一先生(現在沖縄にて開業)が発表なされたことがあるんです」

(前文略)極楽とはなんでしょう。
単なる快楽とは違うようです。
その後に地獄の来る快ではありません。
味わえば味わうほど良さが増すものに違いありません。
快を与える最高のものは、麻薬です。
しかし、快の時期が過ぎれば犯罪を犯したり、廃人となるだけです。
これではだめですが、もし麻薬のような快を与え、禁断症状のない物質があったとしたらどうでしょうか。
それを味わえば極楽とは言えないでしょうか?。
そしてこのような麻薬様物質が自分の体内で作られ、味わえることができるとしたら、人間は極楽の内に居ると言えないでしょうか?
夢物語のようですが、そのような物質があるのです。
しかも脳の中で作られているのです。だれもが味わっているのです。

、、、中略、、、

気持ちがよかったということは、その行動が快感中枢を刺激して脳の各所から麻薬様の物質を出させたことになります。
この物質は、小型の蛋白質なのですが、分泌されるときには、他の作用を持つ小型の蛋白質と一緒になった形で分泌されます。
前駆物質と呼ばれていますが、ここに生体のカラクリがあります。
気持ちよくする物質だけでなく、副腎皮質に作用して、その機能を高める物質も組になっているのです。
この結果として副腎皮質ホルモンが分泌されますが。
これは生体にとって重要なホルモンです。
炎症を抑えるというだけでなく生体のバランスも整えます、すべての難病の最後の切り札です。
ベーチェット氏病もリュウマチもぜん息も、広い意味での自己免疫疾患と呼ばれるものすべてに使われます。
しかし、外部からこのホルモンを与えると、副腎本来の機能が低下してしまい最後には萎縮して働かなくなってしまいます。
ですから、治療効果も始めはあるのですが、どんどん使う量が増え最後には、そのための副作用でもニッチもサッチも行かなくなります。
反対に生体から出る場合はどうでしょうか、どういうことになりますか?
自らの体で、自らの病気を治してしまうことになるのではありませんか。
しかもこの物質作用ですと副腎は健全にさえなります。

これで橋本先生が難病でも操体で良くなって行く例があるとおしゃっていることに納得いただけますか。
こんな生体の裏付けがあったのです。
さて、このホルモンにはまだまだ作用があります。
大出血や事故などのストレスでショックになってしまったときにも、一時的に大量に使います。
すると生体はバランスを取り戻しショックから立ち直ります。
活力のなくなった体に芯となる力を与えるのです。

朝、目が醒めて昼間の活動が行えるように体調を整えるのもこのホルモンです。
動きたくなる、何かしたくなるのは実はこの物質の働きによるのです。
まるで肉体よ目醒めよ、ストレスよ去れ、炎症よおさまれ、と命令しているようではありませんか。
操体は以上のことから考えても十分に活力の元となります。
いや生体は本来活力が出てくるように出来ているのです。
何かのきっかけで歪んでしまった生体の系を操体でバランスをもどしているだけなのです。

赤ん坊を見て下さい。
幸せそうな安らかな眠り、目醒めたときのあの活々とした動き、皆すばらしいではありませんか。
生物の命に限りはあっても、本来の機構は極楽に生まれ、活発に働けるように出来ているのです。
快楽中枢が働き極楽になるだけではありません。
次々と活発に動きまわりたくなり、動けばまた、よく動いた、上手に動いた、気分が良いという情報となって、再び快楽中枢を刺激します。

極楽とは何もしない状態ではなかったのです。
快ゆえに動。想が働き、働けば快がまた生じるというサイクルを作りながら、回転すればするほど、快も動、想もいっそう質の高いものとなる。
この状態が極楽なのです。

、、、中略、、、

いままでの私の考え、実践からすると、操体は皆の医学です。
操体医学をもっと数量的に表現していくことが必要ですが、それは医師としてのわれわれの務めです。

操体医学は現代医学を支えるという意味でも望まれた本来の医学であると確信しています。

(地湧9月号、温故堂だよりイサキ16号より)

などというようなことをかいつまんでお話する。

さて、次の質問は確か57年の最初の講習会の頃から若いベテラン保健婦さんだ。
お茶をすすりながら、「先生、私達も各地区で操体のことをお話ししたりするんですけど、どうもうまくできなくてェ、、、、、、、でも先生のお話を聞いたりしていると、どう表現していいのか、、、受講していてなんとなく気持ちが良くなってくるんですよねェ、どうしてあんな風にできるんですかぁ?」と切実な質問だ。

私も”気持ちが良くなってくる”なんて言われると、さっきの副腎皮質ホルモンが分泌されるせいか、うれしくなってしまい、喉なんか渇いてもいないくせにどうしてか熱いお茶を一気に飲み干すのだった。
その結果、ノドは大変迷惑し、涙腺がゆるんできた。
私はそんなつらさをものともせずに、かすれかけた声で涙ながらに
「そんなことはないですよォ、まだまだ勉強不足でェ、私もみんなに覚えてもらいたいという欲はウーンとあるんだけども、一度に全部を伝えようとすると、欲張ってしまって頑張るんです。」
と訳のわからないことを言う。

そして、
「いつも私はみんなと一緒にビックリするし、おもしろければゲラゲラ笑うし、たまには少し本気でおこったりもする。
ただそれだけですよ。あっ、それからねェ、先生という字は読んで字のごとく先に生まれるって書くように、先に生まれたのはみんなの方ですからね。
だから私は先生ではなくて”センセ”てなイメージでしかないんですよ。
それに、なんといってもみんなから見たら息子のような自分が”講師の先生”ですからね、どうしても力んでしまうし、格好良くやりたいんだ。
そんなことでいろいろ講習会も工夫して試させてもらっているけど、橋本先生の言うように、百点満点は取れなくてもいいから、60点ぐらいで間に合う程度でOK!。
くらいに考えてやった方が操体らしい気がしますね」

「その方が気楽だし、後味も気持ちがいいですよ」。
などと力説する。

保健婦さん達はイイ顔でうなづいてくれた。
さて。
雑談を交えての昼食もそろそろ終わりに近づき、午後の部が始まろうとしている。

街路樹は枯れ葉をはらはらとふりまき、冬支度におおわらわ。
そんな中、みんながいそいそとセンターに戻ってくる。
時計の針が午後1時を指している。

私は「それではそろそろ参りますか」と背伸びをひとつ、心新たに会場へと向かう。
午後の部は食後でもあり、保健婦さん達と相談し、いつも腹式呼吸の練習からスタートすることにしている。
みんなが思い思いにリラックスして、くつろいでいる会場に私達は申し訳なさそうに入ってゆく。

午後の部のはじまり

私は黒板を背にし「それでは午後の勉強を始めます。みなさんご飯を食べたばかりであまり動きたくないでしょうから寝ころんで腹式の呼吸の練習から始めましょう。ちょっとだけ説明してみますねェ」と黒板にスラスラとヘタクソなエタイの知れない絵を書き出す私。

「これは何だかわかりますかねェ、自動車ではないですよォ」と念を押したつもりで言った。
それなのにどうしてかみんな思いっきり笑いだしたのだ。
みんながあまりにも笑い続ける姿に圧倒され、私まで可笑しくなってしまいゲラゲラと本気で笑ってしまった。

笑っていて急に想った。
『これはまさしく腹式呼吸だ!』と。
しわくちゃの笑顔がまだ少しさめやらぬ雰囲気の中、さっきの上手な絵をもとに腹式呼吸の説明に入る。

「呼吸というのは字を見てもわかるように呼くのが先です。この絵のように寝ころんで、お腹をへこませながらまず息を呼ききってゆきます。
ゆっくりフーッとね。
そして呼ききったらそのお腹をへこませている力をポッとゆるめるとひとりでに息が入っていきます。
そうしたら、気持ちよくお腹をふくらませて息を吸うようにします。
できれば呼くときは口からフーーッと、吸うときは鼻からスーーッとします。
いいですかぁ、それではみんなでぶつからないように寝てやってみて下さい。」
と簡単な説明をして試してもらう。

みんなゴロゴロ寝ころんで、フーッとかスーッとか自由にやっている。
「苦しいようなやり方は無理にやらないでよォ、気持ちのいいようにねェ、お腹に手をのせてやった方がいいかなぁ、呼く息はゆっくりと長ーくねェ、吸う息はそれより早くなってもいいですよォ、10回くらいやったら起きて下さいねェ、気持ちよーく呼ききるのがコツですよォ、お腹をへこませてねェ、だいたいできるようになったら、息を呼いてゆくときにお尻を少し浮かすようにして肛門をキュッとしめるようにしてやってみてェ、そうそう、うまい人いますねェ」。

静けさの中に深呼吸の合唱、私は思わず窓を開ける。
会場にひややかで新鮮な空気が流れ込み、深呼吸の快適さを増幅してくれる。

「息を吸う時はカカトから吸い込むような感じを意識してみてェ、そして頭のてっぺんまで空気を誘い込むような気持ちでぇ」。
などと私はいつもの自分でやっている感覚をイメージ化し、言いたいことをヘラヘラと並べ立てて言う。

しばらくして、ひとり又ひとり眠りから目覚めるようなイイ顔でポツリポツリと起き始める。
このとき、いつも私の心にふと浮かぶのは不安と期待の入り交じった快適な感覚だ。
今回は全員無事に終わったが、前回同じように深呼吸をやり終え、みんなが起きてザワザワしているというのに、ひとりだけ熱心に練習を続けているオジサンがいたのだ。
マジメだなぁーと思い、みんだでのぞき込むとなにやら鼻の奥底で奏でる聞き覚えのあるリズミカルな音色を響かせ練習を続けているのだ。
なんのことはないこのオジサン、あまりの気持ちよさに酔いしれてグーグーイビキをかいて眠ってしまっていたのだ。

このときもみんなで笑ってしまったけど、私としては、これほどまでに気持ちの良さを味わっていただけると、もはや何も言うことはありませんでした。
という裏話はさておいて、勉強会、勉強会。

みんなが起きると私は
「いまやってみたような感じで、気持ちがいいように工夫しながらいつでもどこでででもやてみて下さい。
まあ毎晩寝る前にフトンの中で10回くらいは練習のつもりで試してみて下さい。
死ぬまでですよ!」
と付け加えたつもりが、又笑われてしまた。
今回の人達は本当によく笑う。

次は、飲食についての説明が始まる。

飲食について

「みなさんは毎日いろいろなものを飲んだり食べたりしているわけですが、歯を見て下さい。
普通は全部で28本で、平らな前歯が8本で、とんがった犬歯が4本、そして臼のような奥歯が16本です」と歯の種類と本数を知ってもらい「みなさんの中でライオンを飼っている人いますか?」と挙手を願う私。

当然のこととは思ったが、みんなクスクス笑うだけで誰も手を上げない。
「それでは牛を飼っている人ォ?」これまただれもいない。
仕方なく私は一番前の人にたずねる「ライオンは何を食べますか?」。
「肉です」。
「そうですねェ、だから彼らの歯は鋭くとんがっていて肉を引きちぎれるようになっているんです。
牛は肉食ではないから犬歯はないでしょう。
その分草なんかを食べるのに適した平らな歯や臼歯がたくさんあるのです。
そうして考えると人間の場合、とんがった犬歯が4本で肉類用、前歯8本で野菜用、奥歯が16本で穀類用ということになって、この割合でものを食べればいいのではないかということです。
つまり、肉類をひとつ食べたら野菜類はその倍、穀類が又その倍、とこんなバランスになりますね。
そしてそれらをおいしく上手に工夫して料理し、よく噛んで唾液と混ぜ合わせてから飲み込むようにすると不自然なものがイヤになってきます。
それから後味も気持ちがいいように、腹八分目程度にするということですね。」
などと飲食について簡単に説明する。

精神活動について

次に精神活動(想)についての説明に入る。
想については私なんかがエラそうに指導できることではないけれど、翁先生の言葉を借りてお話をさせていただく。

「精神活動というのは、想い方や考え方についてのことですね。皆さんはどんなことを想ったときに気分がよくなりますか?、、、」と、なにげなく私は質問する。

みんなはニコニコしたりキョロキョロそばの人を観察したりして考えているようだった。
私は
「みなさんこうやっ生きていて、平気でいれば気づかないかも知れないけれど、考えてみればみんな天地自然とか親や多くの人達の愛情に支えられて生きていられるわけです。
自分ひとりでなんか生きていられませんよね。
ですから、そういうお陰で生きていられることを想えばおのずと感謝の気持ちが湧いてきて気持ちがよくなってくるんです。
もちろんイヤなことも目についたり思ったりしもしますよ。
そこでね、そのイヤな気分がしてくることに心を向けてゆくと身体まで歪んでしまうんです。
ですから自分の気持ちをありがたいなぁとか、きれいだなぁとか、そういう気持ちの良くなる方向にもってゆくんです。
するとねェ、簡単な身体の歪みだったら、スッと消えてゆきますよ。
それからねェ、お互いに気持ちの良くなる言葉を使うようにするんですよ。
コンチクショウ!と言えばコンチクショウで憎らしくなるし、ありがとう!と言えばありがたくなってうれしくなる。
つまり、自分の運命のハンドルは、口から出す言葉の方向に進むという法則に従うのです。」

最前列のおばちゃん二人の目がなるほどォ、そうだったのねェ!」とうなづきながらキラキラ輝いていた。

時計の針がちょうど2時半を指している。
「そろそろ時間がきましたねェ、」と私はキチンと正座をする。
みんなもマジメな顔でニコニコし、姿勢を正す。
私はさらっとみんなを見回し「どうでした、少しはなにか覚えましたか?もしわからないことがあったら保健婦さんに聞いて勉強して下さい。それから、今日覚えたことは家に帰ったら家族の方や近所のお友達なんかに教えてあげて下さいね。そうしないとバチが当たりますからね!」と最後の脅迫をする。

会場はしばらくざわめきの笑顔に包まれ、静かにおさまってくる。
私は丁重に「今日はどうもありがとうございました!」と元気良く最後のごあいさつだ。
みんなもうれしい声でそう言ってくれた。

講師退場。
私はペコペコニコニコしながら、みんなの拍手の中を通り抜ける。
出口までくるとみんなの方に向かって思いっきり手を振りバイバイする。

操体の講習会。
このようなありかたでいいかどうか、まだまだ言わずじまいや、やり残しがありそうだけどまあ60点とさせていただくことにしよう。



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